船越さんありがとう
久々にテレビをつけると再放送の刑事ドラマがやっていた。
そういえば、学校から帰ってきて、こういうドラマを観るのが小学生時代の密かな楽しみだった。
メジャーなものよりも、無名な俳優が多い低予算っぽいドラマが好きだった。
整ってはいるけどあまり華がなくて、売れそうにない感じの俳優の雰囲気や、安っぽい演出、構成、セリフ、衣装、小物、サウンドなどに心惹かれるものがあった。
あとは、なによりも犯人が分かりづらいのがいい。古畑任三郎のような、ゲストが大物俳優で最初から犯人が明かされているドラマも需要があるんだろうけど、私は、キャストが全員無名で、あんまり見通しがつかない方が面白いと思った。
しかし、もう観ていたドラマのタイトルや内容などを全く思い出せない。
一時的な娯楽にしか過ぎなかったのだ。残ったものなど何もない。無駄な時間の使い方をしてしまったな、と後悔している。
今、タイムスリップできるなら…いや、あの当時は特にすることもなかったし別にいいや。
「過去の自分も受け入れてあげてください。奥さん、あなたはなにも間違ってなんかいなかった。」
断崖絶壁の上で刑事役に扮する船越英一郎にそう言われている気分になった。そのまま、泣き崩れながらパトカーで連行される私。
ケツメイシの曲と共にエンドロールが流れるなか、刑事課にて船越の部下の女性が「彼女、執行猶予がついたそうですよ。」と、言い、船越はコーヒーを飲みながら微笑む。
場面は変わり、船越は妻と二人でららぽーとを歩いている。そこで、妻に「あんたのこと見直しちゃった」なんて言われ「おい、照れるだろぉ~」などと言い返しながら和やかに話は終わる。(これ系のドラマ、岡江久美子が妻の役をやりがち)
"この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは関係ありません"とのテロップが数秒間出てきて、そのあとに、ノコギリヤシかヤワタのCMが始まることで、あぁ、もう完全にこのドラマは終わったんだな、と悟り少し寂しい気持ちになる。
ちなみに、ヤワタのCMは、当社社長と船越が出ていて結構好きだった。
ちゃんと楽しい思い出として残っている。なんだか、じんわりと心が暖まったような気がした。
生きやすさへの近道
アリとキリギリスの話が最近よく思い浮かぶ。
夏の間に、せっせと貯蓄するアリと、かたやバイオリンだけ弾いてなにもせずにいるキリギリス。
冬になると明暗が分かれる。貯蓄してきたアリは、快適に過ごすことができ、なにもしてこなかったキリギリスは、凍死か餓死してしまう。
だれもが聞いたことのある有名な話。"努力するものは報われる" "働かぬもの食うべからず" というようなことが多分教訓だと思う。
私は、この話が苦手だった。というのも自分が完全にキリギリス側の人間だから。小さいときから「助けてくれないアリはひどい、アリは心が冷たくてキリギリスは体が冷たい」などと考えていた。けど、この考えは世間的には間違いなんだろうな…と、思い自信がなかった。今は本格的にキリギリスのように生きているので不安感が拭えない。
しかし、最近になって、この"勤勉に生きるのが正しい"という思想に反発し、改変して新たな物語まで作った、サマセットモームという作家がいることを知った。
この作家のアリとキリギリスは、アリを堅実な兄、キリギリスを享楽的に生きている浪費家な弟、という人間の兄弟に置き換えているらしい。
兄は弟の事を、ろくな晩年を送らないと思っていたが、弟は超お金持ちの老婦人と結婚し、大量の遺産を引き継ぐという話。
従来のアリとキリギリスとは真逆の話。夢がある。しかし、よく考えるとこの弟はコミュ力が高く行動力があった。
わたしはむしろ、人から嫌われてハブられることが多い。そして、その事をいつまでも引きずって外に出られなくなるような人間。…同じように生きることは不可能。
人を寄せ付ける魅力や、ずば抜けた能力がある人以外は、アリのように勤勉に暮らすのが生きやすさへの近道なのかもしれない。ここにきて"勤勉に生きるのが正しい"ことに納得した。
勤勉に生きていけるように、なりたい。
幻のエンジェル
物心ついた時から天使が見えた。明るいところに出てきて、暗いところになると消えてしまう天使。
サイズはまばらで、たくさんいる。明るければ、どこにでも現れる。
カトリック系の幼稚園に通っていたので、キリスト神話をよく聞かされていた。主にキリスト誕生の話が多かった。そのなかに登場する、大天使ガブリエル。私が見えている天使は、もしかしたらこのような天使で、自分は選ばれし者なのではないかと密かに思い込むようになった。
小学生のとき、顕微鏡で微生物をみるという授業があった。その時、微生物をみて驚いた。天使にそっくりだったのだ。
顕微鏡でみた乳酸菌、というのにもそっくりだった。微生物よりも更に似ていた。
天使は、人間の形をしているのになぜ、微生物や乳酸菌のようなものを天使だと思ったのかというと、それは、シスターのように修行を積めば人間の形をしてくるじゃないかと解釈していたから。
でも、この件をきっかけに私が見えているのは、天使じゃないのかもしれない、と信念が揺らぎはじめるようになった。
そして最近になって気付いた。
これはただ"飛蚊症"なだけだった。
ふと思ったこと
なりたいものがあった
それは、スイミーでいうところの「大きな魚のふりをする小魚」のようなポジション
もし私がスイミーの世界に存在するなら、大きな魚のふりをするのに混じろうとするけど、入ることができず、結局なす術もなく捕食される小魚になるだろう
他に登場している魚は、
スイミー達の敵である肉食魚→一生狩りをしなければいけない、身体がよわって狩りができなくなった時にじわじわ餓死する可能性がある
スイミー→一番信頼されているポジションでなおかつ、1人だけ黒いという個性があるので、目立つし、責任も重大
ということで「大きな魚のふりをする小魚」のような、平均的な存在が一番生きやすそうだと思った
しかし、よく考えたらこの魚達もフォーメーションを間違えたら連帯責任でみんな詰む
連帯責任は大の苦手
結局どれにもなりたくない
生きるのって大変だね
初投稿
ブログ開設してみた!
日々のささいな事でも書いてみようかな
「今日は空が綺麗だった、外出てないけど」
おわり